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壊れた世界が綴る世界

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イライラする

自分の人生の不幸さに

人生の馬鹿馬鹿しさとつまらなさに

どう足掻いても、力がなければ決して報われることのない現実に

内面を仕舞い込み上辺ばかりでしか人と接することができない自分の精神的弱さと孤独感に

心の中で毒舌で悪口ばかり言っている

心の中ででも毒を吐いていなければやっていられない

精神的に腐ってきている
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あれほど切ないドキュメンタリーはこれまであっただろうか

北村五郎、39歳、25年という長すぎる年月をたった一人で家の中にひきこもり、家族との接触も断ち暮らして生きてきた男性

料理は全てレトルト品でありそれを主に食べ、父親がたまに月に一回五郎さんの大好物のうなぎを買ってきてこっそりと渡す感じだった

25年間、口を聞いてはいなくても五郎さんのお父さんは五郎さんを息子として好きだったから守り続けてきたんだよ


ずっーと一人で誰とも交流せず25年間生きてきた五郎さんの目は子犬のように無垢でいて寂しそうな優しい瞳をしていました

心の醜い人間達との接触を思春期から25年間も断ってきたからか心がピュアで汚い言葉や皮肉を喋るような気配がまったくなかった

ひきこもることで守ることができたところもあったと思う

五郎さんは長い25年間毎日一人で本を読みテレビを見て猫とだけ交流をしたりして生きてきた

さびしくて、置いていかれたようで、どうしようもなく孤独であったと思う

時間と日付が過ぎていき自分の時間はずっと止まったままなのに同級生は先に進みそれぞれの空に飛び立ち、それでも五郎さんは家にひきこもり続けるしかなかった

テレビの取材が来なかったら、彼の人生は一生このままひきこもるものだったかもしれない



「どういうふうに生きていこうかなと考えたことはあったんだけど、どれも自分に良さそうなものがないというか、向いてるものがなくて、自分みたいなのは布団被って眠っていた方が良いのかなと」

ディレクターに連れられて五郎さんが大好きなシンガーソングライターの松崎ナオのライブに行った

ライブが終わって五郎さんはずっとテレビの向こう側で見てきた松崎ナオと初対面した、そして一緒に笑って記念撮影をした、松崎ナオは優しく五郎さんに話しかけていた

松崎ナオが五郎さんの自転車に二人乗りして海なんかに行ったら五郎さんは幸せだっただろうね

五郎さんはディレクターに気に入られて付き合いが続いていそうだし対人恐怖症や社会不安障害も軽くなり、もう社会に出て少しずつ働いているかもしれない

苦手であった父と二人で食費を出し合い食事をし、何かお喋りを楽しんでいるかもしれない

お父さんも笑って、五郎さんも笑って、松崎ナオのライブに行って、幸せを感じて、見つけて、笑って、そうやって生きていくんだ

北村五郎さんが良ければ五郎さんのその後を見てみたい
どうしようもなく気が小さい人間は壊れていく

鬱陶し過ぎる人間に一方的に粘着されても「お前とは関わりたくない」とは言えず愛想笑いをしてしまう

頭が壊れる不幸ばかりだった

頭が壊れる衝撃を受けすぎなければ何事にも意欲的で正常に物事を感じ楽しみ人生を謳歌する自分が存在していた


頭が壊れる…

じっとしていられず部屋の中を徘徊する日が何日も続いていく

精神的に壊れないように自分をコントロールしても心的苦痛が限界を越えるとやはり何かが壊れてしまう

自分の中で何か尊い自分の精神を形成していたものが壊れてしまった感覚に支配される

精神が壊れた後はあたりが静寂に包まれ自分の心の気配を感じなくなる

自分の中にあった何か大きなものが抜け落ち心が空っぽになり虚無感が広がる

一度壊れたらもう2度と治らないような精神を形成するもの

壊れすぎた

何もかも虚しくてしょうがない

世界のどこまでいっても暗闇が永遠と広がっている気がする

僕の心に光は差さず暗闇が広がり続ける
鬱病が酷く2ヶ月くらい更新していなかったが、久しぶりに映画の感想でも書いてみようと思う

「海を飛ぶ夢」という映画を観てみました

スペインの実話を基にした映画みたいだけど、主人公のラモン・サンペドロは海を愛し海に生きる力を与えられた男だがある日、海への飛び込み事故で四肢麻痺になり体が動かせなくなり寝たきり生活となってしまう

そんな生活が28年以上も続く

苦痛に満ち溢れ自由のない人生に尊厳はないとラモンは尊厳死を望み法廷で闘うことになる

ラモンの兄やその家族がラモンを支えるのだが、ラモンの兄達はラモンの尊厳死に強く反発する

ラモンの弁護士の女やラモンをテレビで見たロサという女がラモンの元に訪れて心を通わす内に恋が芽生えたり生死に対する考えが変わったりします

個人的に尊厳死は賛成です

四肢麻痺どころか目も見えなくなっても尊厳死を認められず生きることを強制される日本は地獄ですね

その人からして生きることに価値がなく苦しくてしょうがないだけなら死んだ方が良い

自殺もできない人が尊厳死を認められないと苦しくて発狂しそうな日々を何十年か先、死ぬまで送らなければならなくなったりする
その日もAは掲示板を荒らしまわっていた

煽るような文章を書き込み人を腹立たせることでAは日頃の鬱憤を晴らしている

笑いながらキーボードを打っているとふと小さな四角い画面が出てきた

「足か手か、どちらかを選べ」

足 か 手 か どちらかをクリックできるようになっている

なんだこれは?ウイルスか?

Aは×印をクリックしその画面を閉じようとしたが押しても反応はなし
電源を切ろうとしてもスタートボタンの位置までカーソルが動かず
ウイルスソフトを起動することもできなかった

あまりウイルス対策に詳しくもなく、興味もあって仕方なくこのお遊びに付き合うことにした

足 を選択しクリックを押すと、次の瞬間、Aの足に違和感が走った

どんなに足を動かそうとしてもまるでびくともしない
足の神経が全て麻痺したかのように動かなくなった
これはただ事ではないと、真っ青になりビビリまくった・・・

そしてパソコン画面には新しく

「口が耳か、どちらかを選べ」
という項目が出てきた
さっきと同じようにそれ以外の場所はクリックできない
恐怖で震えが止まらなかった

「誰か!?誰か助けてくれ!?」
必死で助けを求めたがその日はAしか家にはいない
小さな画面の右下には27、26、25とカウントダウンのように数字が減っていくのが見えた

0になるとAの耳からは何も聞こえなくなり、口からは息も吐き出せなくなった

助けてくれ・・・殺される・・・

Aの全身から汗が滴り落ちる

PCには次の画面が現れた

「目か指か、どちらかを選べ」

え・・・どちらも選べない・・・この問いかけにも僕は応じられなくなる、どうすればいいんだ?
カウントは減っていく
0になる直前に、僕は本能的に指を選択した
指から力が抜け落ちた

「謝罪か心臓か、どちらかを選べ」

カウントが0へ向かっていく

助けて・・・・

19・・18・・17・・・

僕は頭でマウスを動かしなんとか謝罪の位置にカーソルを持っていき舌を使って左クリックを押そうとしたが、押す瞬間にマウスが滑ってカーソルがずれ心臓の方をクリックしてしまった

Aの心臓は止まった
何時間も感情移入しながらゲームやネットをやり続けていた自分

守り抜いてきた品性を自らのオーラに漂わせ精神を張り詰めさせていた自分

高揚感が高まってきてカラオケで発散したくなってた自分

悔しくて、吐き出してばかりだった自分

心の中にある消えてはならない灯火を消すまいと必死で闘っていた自分


気が壊れそうな感覚ばかりが続いて壊れたようだ

自分ではなくなったような自分がぼーっと虚ろな目をして空虚感に飲まれ続けている

感覚が再び宿りそうな気がしない
今更ながらPS版のファイナルファンタジー6をPSアーカイブスでDLしてやっています

ゲームボーイアドバンス版のFF6の評価がアマゾンでかなり高いですから興味を持ってやってみることにしました

FFは7から本格的にやりだしてそれ以前は特にやっていませんでした、小中学生のときに友達からFF6を借りてやったのですがFF7と比べるとグラフィックがかなりしょぼいので一時間くらいでやる気が失せてやめたんですよね

当時はFF7の影響が強く、FF6は映像で魅せてくれず2Dのドット画が寂しいなと思いました

今はゲームの高グラフィック化が進み美麗なグラフィックはたくさんありますが、いい加減この美麗なグラフィックというのも見てて落ち着かず飽きてくるし、ゲーム中に3D空間がぐるぐる回転するのもやっててかなり疲れるところがあります

その点FF6は画面が特に回転せず、画面を見てて疲れるということが特にないです

今は4時間くらいプレイしてますが、ストーリーには特に引き込まれず、2秒歩いただけですぐに戦闘シーンが始まってしまうとなんだか集中力が途切れて嫌気が差しますね

これから面白い展開へと流れていけばいいですが、現時点だと演出もストーリーもキャラクターの魅力もFF7の方が上だと思いますね
情報に疎い中年のおじさんが周りの情報に付いていけず孤独で人生に疲れきって憔悴しては衰弱しそれでもなんとか生き長らえるが最後は情報弱者として力尽きて死んでいくフラッシュです

当時人生に疲れきっていたときにこのフラッシュを見たので世界観に随分と共感しては感銘を受けたものです

音楽も絶妙にマッチしていて感情移入しました

情報弱者フラッシュ
欲しい服を我慢すれば

欲しいゲームを我慢すれば

遊ぶ金を減らせば

娯楽に金を費やすことを自重し、命が尽きようとしている貧しい人達にお金を送れば

異国に住む餓死寸前の子供達や病気で死ぬ寸前の人達を救うことができる

しかしそうはしない

そういう人達を救うことよりも見殺しにして自分の娯楽を優先しているという現実がある


カイジで兵藤とかいうのも同じようなことを言っていた

人間達は餓死寸前の子供達を見て、口ではかわいそうだという癖に、金を送る話になると途端に黙り込んでしまう

根本的な現実をどこかスルーして見ようとしない
FF10のピアノサントラから

この曲を聴いていると蟲師の絵を思い出したりする

傷付けられることのない静かな世界に行きたい

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