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「生きていればいつか良いことがある」自殺志願者を励ます際にこの言葉を発する人がたまにいるが、果たして本当に励ましになっているのだろうか、不幸な人生に苦しんでる人でも長く生きてれば確かに良いことの一つや二つはあるだろう
しかし自分は正直凄く感情がネガティブに働き死を想うようなときにこのような言葉を聞いても特に励まされない、自殺願望が渦巻いている時というのは苦しい気持ちが溢れていて生きてて良いことがあった時の感覚を思い起こす余裕がなく言葉に共感し難いためあまり励まされない人が多いのではないかと思う。精神的にも疲れ切ってる方が多いので「いつか」という不確かなものを待つ気力もほとんどない。
ある程度元気な人はこの言葉通り良いことが日常に何度かあり身に染みているから言葉によく共感でき人生をポジティブに見つめられるが自殺志願者というのは大抵そうはいかない。
「生きていればいつか良いことがある」という言葉よりも相手の心に「生きていれば良いことがあるのだな」という実感を持たせる何かをしてあげるということが肝心なのではないだろうか
自分は言葉よりも身を持って今日は「生きていればこういう良いことがあるんだな」と励ましてもらえることがあったので書いた一存である。
ちなみに言葉の感じ方は人それぞれなのでこの言葉が悪いと言うつもりはない、自殺志願者でも励まされる人もいるかもしれない。
「絶対に良いことがある」とまで言われると無責任にも思えるが「生きてれば良いこともあると思うし」など一連の言葉の綴りの中で使う程度なら問題ないという認識である。
しかし自分は正直凄く感情がネガティブに働き死を想うようなときにこのような言葉を聞いても特に励まされない、自殺願望が渦巻いている時というのは苦しい気持ちが溢れていて生きてて良いことがあった時の感覚を思い起こす余裕がなく言葉に共感し難いためあまり励まされない人が多いのではないかと思う。精神的にも疲れ切ってる方が多いので「いつか」という不確かなものを待つ気力もほとんどない。
ある程度元気な人はこの言葉通り良いことが日常に何度かあり身に染みているから言葉によく共感でき人生をポジティブに見つめられるが自殺志願者というのは大抵そうはいかない。
「生きていればいつか良いことがある」という言葉よりも相手の心に「生きていれば良いことがあるのだな」という実感を持たせる何かをしてあげるということが肝心なのではないだろうか
自分は言葉よりも身を持って今日は「生きていればこういう良いことがあるんだな」と励ましてもらえることがあったので書いた一存である。
ちなみに言葉の感じ方は人それぞれなのでこの言葉が悪いと言うつもりはない、自殺志願者でも励まされる人もいるかもしれない。
「絶対に良いことがある」とまで言われると無責任にも思えるが「生きてれば良いこともあると思うし」など一連の言葉の綴りの中で使う程度なら問題ないという認識である。
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