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私が始めてG1クライマックスをじっくりとテレビで観戦したのは2000年のG1クライマックスである

それ以前からプロレスはテレビで見ていたが家庭の事情であまりよく見れないことがしばしばあった

2000年のG1クライマックスは深夜に放送されたものをビデオテープに録画して何度もじっくりと観た

この年のG1はAブロックからDブロックまで分かれており1つのブロックに5人、総勢20名の中からナンバー1を決める過酷なものとなった

出場選手の中で異彩を放ったのがジュニア選手である高岩とライガーであった

今ではジュニアヘビー級の選手とヘビー級の選手が一緒になって試合をすることは当たり前のように行われているがこの頃の新日はまだジュニアもヘビーも選手層が厚くジュニアとヘビーの選手が試合をすることなど稀なことで夢のある闘いであったのだ

ヘビー級では佐々木健介を始め、武藤敬司、中西学、永田裕志、吉江豊、ブライアンジョンストン、飯塚高史、蝶野正洋、小島聡、天山広吉、後藤達俊、小原道由、ヒロ斉藤、ドンフライ、スコットノートン、越中四郎、藤波辰爾、鈴木健三、棚橋弘至

ジュニアヘビー級では獣神サンダーライガー、大谷晋二郎、高岩竜一、金本浩二、田中稔、エルサムライ、AKIRA、柴田勝頼、井上亘、真壁刀義

といった具合に本当に豪華にスターが多く充実していたが方向性が違うとかで選手が別の団体へ移籍したり新団体を旗揚げしてプロレス界は乱立したが、今はプロレス界も不況に呑まれてるしみんなが元の鞘に戻ってひとつの箱の中で力を合わせたりそれぞれが見せたいものを見せればそれがお客さんのためにもプロレス界のためにも良いんじゃないかと思う

よっぽど方向性が異なるなら、分けるのも仕方ないが(例えばデスマッチが主流の大日本、エンタメのハッスル等)業界が全体的に低迷してる現在、ドラディションや健介オフィス、ZERO1、全日本は果たしてバラバラになって運営する必要があるのか疑問である

大体のお客さんは会場に足を運ぶにあたり二月に一回だとか一月に一回、または4ヶ月に一度など、ある程度良く頻度を決めているものだと思うが、こうもバラバラに運営されてしまうと、多くの見たいレスラーをなかなか一度には見れなくなってしまうし、ある程度まとまった方がお客さんに満足のいくマッチメークを提供できると思う

例えば私としては一回の興行で蝶野、武藤、健介、天山、小島、中西、永田、大谷などが見たいがバラバラに興行を運営されてるから、一度の興行では見たい選手の半分も見れなかったりする、それで見たい選手が半分以下しかいない興行だと物足りなさを感じていまいち行く気がなくなったりするのである

話を元に戻すとG1クライマックス2000で悪役だったがヒロ斉藤であった、ヒロ斉藤はBブロックだったと思う

Bブロックの面子は当時のIWGPヘビー級王者佐々木健介、小島聡、ブライアンジョンストン、木戸修、ヒロ斉藤であった

ヒロ斉藤が佐々木健介と対戦するときに取った行動は場外乱闘に持ち込みレフリーが場外カウントを数えるのだが、リングに戻ろうとする健介の足を引っ張りリング内に戻さず両者リングアウトに持ち込むことだった

ヒロ斉藤の心中はよく分からなかったが健介と対戦する前にリング上で珍しくマイクを持ち「誰にも得点やらねぇからな!!オイ健介!!お前には絶対得点やらないからな!!」というようなことを言っていた、そして有言実行したのだ

当時T2000(NWOだったかもしれない)の仲間だった小島聡にも同様に両者リングアウトに持ち込み小島聡はこれにブチ切れた!

これがG1かオイ?これがG1か馬鹿野郎!!と感情を噴出していた

またこの年のG1で個人的にベストバウトだったのがCブロックの天山広吉VS西村修であった

当時頂点に近い位置に君臨していた天山に対し西村修は中堅あたりであった

二人が闘うときに、既に西村修が決勝トーナメントへ進出することは得点的になくなっていたのだが西村修が天山に勝利すれば天山と中西の得点が重なり中西学に決勝トーナメントに参加する権利が得られるという状況だった

多くのお客さんは天山の勝利を予想していただろう、まさか西村が天山に勝つと予想していたお客さんはあまりいなかったと思う

しかし中西学は西村修の勝利を信じリング際まで西村対天山の闘いを見守っていた

ラリアットで西村を追い詰める天山

フラフラする西村

再び天山がラリアットで西村を攻撃しにロープへ走って返ってきたそのとき西村修のグラウンドコブラが天山広吉を丸め込んだ

1、2、3、カウントが3つ入った、場内に西村修の曲が流れお客さんは騒然とした、中西学が西村修の執念の勝利に武者震いをしてリングを見つめていた

2000年G1クライマックスの感動の名シーンであった

決勝は佐々木健介対中西学であった

私は中西学を応援していた

中西は佐々木健介を得意のスピアーやアルゼンチンで何度も追い詰めた

しかし中西は片足をしきりにリングに叩きつけたり腕を回すなどのパフォーマンスが多く、結局は佐々木健介のノーザンライトボムからの急角度の逆エビで敗れてしまった

中西学には大事な一戦なのだからパフォーマンスは自重し、もっと応援してくれているファンのために勝利に拘ってほしかった

G1クライマックス2000の私の感想
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