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壊れた世界が綴る世界

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テロリストというニックネームは力道山メモリアルで橋本真也が会場入りする際に背後から襲撃して頭部から流血をさせたことで付けられたものだ

橋本さんを襲った場所は地面がコンクリートなのに背後から襲ったのだからとんでもない・・・一歩間違えれば大変な事態になってしまっていた

襲撃した動機は決戦を前にタッグを組んで試合に臨もうとしていた橋本と小川に対する不満からだったそうだ

村上に対するイメージといえば、最初はかなり嫌な奴だと思っていた、試合での酷く挑発的な態度が気に入らなかったのである、だが後になって99年の1.4東京ドームで集団ストンピングを喰らいその時に致命傷を負わせたのが飯塚だったことを知り多少しょうがないのかなとも思った

村上和成というのは不思議な存在で、格闘技ファンからどことなく弱いキャラであることを望まれている感じがするのだ、村上和成の強さをファンは生理的にどこか拒んでいる感じがした

村上和成は実際強い、佐竹戦ではスリップしなければ勝っていただろうしホイスに柔術で勝利しているヴァリッジ・イズマイウともほぼ互角に闘っていた気がする

01年のG1クライマックスに参戦したときは初戦の永田戦では腕十字で永田を叫ばせ、稔戦では殆ど村上が一方的にボコボコにしたが、最後に丸め込まれただけで、藤波戦も村上がボコボコにドラゴンを殴り付け、ドラゴンはなんと試合では一切攻撃を加えずスモールパッケージホールドで丸め込み、そんな勝利なのにも関わらず会場はブーイングが鳴るどころか、安堵のため息のように沸いたのである・・

中西戦では中西が非常に狼狽していて村上にグラウンドで膝蹴りを見舞いながらレフェリーを何度も蹴飛ばし中西の反則負けとなった

あの時の中西の心境はなんだったのだろうか?あれはまともに闘って小川の下に位置する村上に負けるのが怖くて反則に逃げたと誤解されないためにもやらない方が良かったと思う

安田戦では走ってきた安田に普通にパンチを喰らわせ3カウントを奪った

2003年の猪木祭りではK-1のベテラン戦士ステファンブリッツ・レコとレコの土俵であるK-1ルールで戦いレコのハイキックで村上はKO負けしている

この試合がファンは好みらしくニコニコ動画ではなんと500人以上もの会員がお気に入り登録している

この4ヵ月後、小川直也が村上の敵討ちも兼ねてのことだろうけど、PRIDEのリングでレコに向かい打撃でダウンを奪ってやるというプレッシャーを与えながらレコに詰め寄り後退するレコになんとパンチであっという間にダウンを奪ったのである

村上選手は今は怪我で欠場とのことだが復帰した際には一度ぜひこの不思議で危険な村上和成を生で見たい
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